DV被害実話手記 2006妻から
この話は全て実話であり、私が家族崩壊への
道を歩んだ恐怖の体験談である。
第八話 |
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以下 関わった行政機関及び関連するものたちである
(1) 静岡県賀茂郡郡南伊豆町役場 鈴木史鶴哉町長 伊藤不二枝 職員 平山職員 保健婦
(2) 静岡県女性センター(賀茂健康福祉センター) 土屋(女性)相談員 オリモ相談員
(3) 静岡県警下田警察署 生活安全課 稲葉氏 佐藤氏 ムコウダ氏
(4) 静岡県児童相談所 女性職員
(5) 静岡県静岡市一時保護所 清流荘 山田氏(男性)
(6) 神奈川県藤沢市役所元職員(事務吏員) 元民生員兼児童相談員 小田孝良
(7) 三島社会保険事務所所長
(8) 静岡地方裁判所 裁判官 竹内 書記官
(9) 沼津市田中合同法律事務所 DV弁護士 角田由紀子
経 過
以前から私の両親の常識のなさに夫との喧嘩があった。その度,
実父に対しどうにかして欲しいと方法策を求めていた。
こちらが相談をすると必ず、離婚を求める声があがる。
しかし具体的な内容には触れようとしないそんな実父であった。
そして、私が夫にその事をいうと夫が事実確認の為、実父に尋ねると「そんな事は言ってない」と
私たちの前で必ず言い逃れの態度をとられて事実が確認できずじまいにされてしまった。
又、平成17年4月に夫が両方の両親に夫婦の事で相談があるから、家まできて欲しいと電話をする。
後日、私の両親が午後2時位に○○の私たちの家まで来る。
その時は「離婚はしない方が良い。」「自分も民生委員をやっているが母子家庭は子供がダメになる。だから離婚はいけない」と言う。
しかし、夫が仕事から夕方4時半に帰って来るのを待たず、慌てて帰って行った。
そして、1週間~10日後に私の携帯に実父より電話が入る。
内容は、離婚の手だてである。
困った時は女性センターか警察に助けを求めて、避難できると教えて貰う。
最初は、それが何の事だかわからず、その後、以前から興味のあったサイトにたどりついた。DVサイトである。
夫の行動が、よく当てはまってしまい実父の言っていた事はこれかな?と思い始める。
以前にDVを題材にしていたドラマがあり、それとも重ね合わせたり又、夫婦喧嘩をしないで幸せになる方法を、
2年前に女性センターに相談をした事があった為、更にDVだ、これはDVだとだんだん思いこむようになってきた。
私自身、真面目で思いこむ事が多い為、真実をつきとめるより、目の前にあるものを信じてしまう性格である事は確かである。
よって、DV法に当てはめる事は簡単な事であった。
第一話終わり
子供達とその関係者、家を出るまでの女性センターの対応
夫は躾に対しては厳しい面も多少あった。ただそれが虐待と言われてしまえば虐待であるが、
どこまでが虐待でどこからが躾になるのかがわ
からないことである。その基準もDV法と同じであるのではないでしょうか?事実確認はしたのでしょうか?
子供を連れて南伊豆の土地を離れて忽然と姿を消せば夫は元より、小学校関係者はびっくりするだろう。
勝手に出てきた事や、児童相談所の職
員に家を出る事を進められた事も後に子供が不登校になる原因を作ってしまったのである。
家出当日朝までに、長男、二女には何も教えず、長女(中学生)には何度か相談したが、
家を出る事に賛成してくれなかった。このことを、女性センターの土屋に相談したところ、
「児童相談所の職員が相談に乗ってくれると思いますので、一度相談した方が良いでしょう」
と勧められ予約を取り、長女の通学する中学を水曜日に休みを取らせ相談に行きました。
児童相談所では、女性相談員が、「お母さんは家を出たい、お父さんと一緒にいたくないと言っているのだけど
あなた達子供も協力してくれないとお母さんも困ってしまうので一緒に協力してくれないかな?」と
長女に説明した。
その相談員はしつこく何度も長女に繰り返し聞かせ、説得を試みていた。
最後に長女の心理状態を読むために、一枚の紙と色鉛筆を用意した。
「好きな絵を描いてごらん、絵を描くのは好き?」と聞く。
「好きです」と答える、「じゃあ書いてごらん」と絵を描く事を促した。
長女は、顔の絵を描いた。その絵が完成し、左目を閉じたような感じの絵を描いた。
相談員はすかさず、「何か自分の中に秘めているような絵だね」と言う。
「でも上手に描けているね」ともほめる。「だからお母さんの気持ちも考えてね」と言いお昼頃になったので話も
終わり帰宅に向かった。
このように家出を拒む子供を使い、無理矢理家を出るよう話を進めていくのも
この法律のマニュアルに入っているのではなかろうか。
そして、いまだにこの様な選択をしたことは母親のせいだと子供達は思っているようだ。
確かに、事実は私が出てしまった事だが、冷静な第三者である相談機関が、
事実確認もしないで
「命の危険だとか」子供の為にも夫婦の争いは見せることも虐待につながる」
と言われ、
こちらも素直に聞き入れてしまった。が、今、冷静に考えてみれば、
大変な事で「夜逃げ」という言葉が当てはまる。
逃げる。
近隣住民・学校関係者・子供達のクラスメート達・父兄関連・職場関連・
更に、狭い地域での行政関係者等に知れ渡り、個人の名誉が大きく傷つけられ、
ひいては家族という人間の集団が、この行動により抹殺されたのと同様である。
何せ、突然学校に来なくなったのですから・・うわさ話も多いでしょう。
夫の勤める会社には、三島社会保険事務所から、扶養認定を外しますので、
送付した書式に必要事項を記入し、返信願いますと書かれた手紙が届き、
返信なき場合は、職権で扶養認定を外します。とも書かれていたという。
このことにより、夫の会社の社長は大きく憤慨したという。
大企業であれば、クビ同然であり、労働、収入ににも大きな影響を及ぼしている。
これらの事から、全てを捨てる・・・
(家族、家、土地、名誉、地域関連の人たち、子供の人生、私や夫の人生等、仕事、生命)
という事がここで成り立つ訳である。
全てを捨てさせたと言うのが正しいであろう。
その後の私たちの生活は、まるで崖を転げ落ちるように、破壊されていった。
また、
実父であり、元神奈川県藤沢市市役所事務吏員 元藤沢市民生委員 小田孝良の関与も重大である。
これから、私たち家族5人が崩壊していく様と行政機関の関わりを詳細に記す。
第二話終わり
各行政機関の活動
女性センターに相談に行っても専門知識を持っている者の対応なのだろうが、
夫婦家族が幸せに暮らせると言う方法を一緒に考えてくれなかった。
実際は、それは危険が身に及ぶ。「一時保護所を案内します。場所は教えられませんが、「
安全な場所です。今まで苦労してきたのだからご自分の幸せを考えて下さい。」
と家を出る事を強く進め、一時保護所に入所を勧める。
再三、町役場に相談に行き、早く家を出るように勧められたので、私は焦る。又、
子供も必ず同伴でが強調された。
そして、荷物をいくらか持って出たいと申し出る。
保健婦が荷物の種類をこれを持って行くと良いと言われた。又、自身で車に乗って
近所の人に見られないように出る事を進められた。
止めて放置する場所の指定にあがったのは役場裏のスーパーヤオハン下賀茂店駐車場。
私は「夫名義の車なのでなくなったら夫が困らないですかねと」 と聞く。又、女性センター
の土屋も「そんなこと気にしなくて良いのよ」とさえも言った。
何の権利があっての発言か?車の不法投棄の投げかけを
南伊豆町役場と女性センターは指示強制したのである。
平成18年5月31日(水)
5月28日に暴力?のあった証拠を病院で診断した方が良いと町役場と女性センターに勧められた。それをすること
により、こちらが有利になるようなニュアンスで言われた。
もちろん別紙による理由からうのみにして、早速かかりつけの○倉医院に相談に行って
診断書作成をしてくれるよう頼んだ。
しかし、主治医は治療を要する怪我ではない(通院1日)なので警察に行くように勧められた。
その日の内に警察でも証拠がとれなければ自分のカメラでも証拠になると以前言われたのと
DV法の進め方の本やインターネットでみた事があるのでその通りにした。
そして次に行ったのは下田警察の生活安全課である。調書のようなものを取られる。
だんだんと相談していくと、最後に「ご主人を犯罪者にしても良いのですか?」と言われ、もし、
相談なら女性相談に行ってくれと言われ。
その日の内に病院、警察、女性センター、役場に行ったのではないかと記憶している。
かなりのたらい回しで後の接近禁止令を出す、証拠取りになったと思う。
6月上旬 家を出る前の事
そんな中、南伊豆の家に居たとき、少しの冬物を先に実家に送ろうと思い送っていた。
その時の実父小田孝良の声は「何を考えているんだ。引っ越しをする気かこんなに荷物を送って」
と怒鳴り声で携帯に電話がかかってきた。
6月上旬だった。それでもまだその時には心の迷いがあり、家を出るつもりは強く無かったが、
実父が「勇気を出して早く出てこい、自分たち夫婦は6月24日
から7月3日までハワイに旅行に行く事になっている。それに合
わせて出れば、こっちは電話を取り次がないで済むからな」と言ってい
た。 実母もこういった。「身内にこんなに迷惑をかけて荷物を夫○○さんに見られたら私た
ちは殺される。あなたは親を弟を殺す気?もう迷惑をかけないで」と言われた。
親に迷惑をかけている自分はなんて悪い奴なんだろう。早く家を出なければ…
でも、子供達はシロやゴロは夫は、家の中の荷物はと思いちゅうちょしていた。
6月9日には、はっきりと憶えているが
日曜日天気の良い日に庭で夫と「気持ちがいいね」 と会話したのを憶えてい
る。自分が家を出るなんて言えないし、まして出る準備をしてるとも言えなかった。
又、その時には送ってしまった荷物は何かの時に送り返してもらえばいいやとも思い
出る事をもう、考えるのは止めて頑張ろうと思っていた。
しかし、6月10日に夫の口から出た言葉は
「騙された。泥船にまるで乗った様な気分だお前の親は何もお前の事を心配しない、
金銭も困っても出さないし」と言う言葉にもうダメだ私はずっとこの人に親の事でこういわれる。どんなに
私が頑張っても頑張ろうとしても、自分の親のだらしなさには分かっていたが、
もう言われ続けられるのに限界に達していた。
そんな時、役場に家を出たらどういう生活をすれば成り立つか相談に行った。
役場の職員伊藤は、「実家に一番力になってもらえそうだから、お父様に頼んでみてはどうでし
ょうか」と言われ実父に頼っての良いかと尋ねたら、お金は出すと言ったが
その後の具体的な事にはあまりふれなかった。
それどころか、役場の職員に「父がいくらか面倒を見てくれそうです。」と言ったら
携帯に実父より すかさず電話が入り、「役場の職員から電話をもらったが、
こっちは民生委員をやっているんだ。何を職員は言っているんだ。
面倒を見るなんて軽々しく言って失礼だ」
と怒って電話を切ったのを憶えている。
私の親は私に対する心配をしているのか?それとも夫とこの地で生活していけるのか、板挟みになり、
夫の元でもう少し頑張ろうと言う気持ちと家を出た方が良いのかと毎日揺れ動いて
苦しんでいた。
役場に、何回かこういった事を相談に行っているうちに、いつしか
「いつ頃家を出られるんですか?こちらはいつでも準備万端です。後は出られる日さえ
おっしゃっていただければ。それに、暴力を振るうご主人とずっと生活をされていても
危険ではないんでしょうか?」とせかされた感じでいた。
正直、まだ迷った。今後の生き方もどうしたらいいのかさえ分からないのに、
実父は早く出てこい夫は実家の行動に腹を立てている。(分かるが言われるのが辛い)
ノイローゼ寸前だった。
しかし、6月14日水曜日頃についに決断をしてしまう。
第三話終わり
出たら、幸せな人生を送れる。と書いてあるパンフレットや
インターネットや本を読みあさった。
やっぱり出よう。そして飼い猫の写真が私の携帯に1枚も無いので、ごめんねといいながら写真を撮った。
もう二度と会えないからと思いながら。
愛猫は泣いているようにも感じた。後ろ髪を引かれる思いで泣いて写真を撮った。
でも、何でこんな事をしているんだろう自分は?と投げかけては止めてしまおう、
いや出ようと未だに、わからずの状態であった。
愛犬の写真は以前にみんなで撮った事があるので、あえて撮らなかった。
私の勤めている職場の上司には、事実を話し、家を出る事を伝え、
退職の日時も知らせた。
実際、退職をしたのは6月24日付けである。
又職場に夫からの問い合わせがあったら、「帰りました」等言ってくれるように頼んでおいた。
その間私は、役場に出るまでの間に出来る事をやったり、S医院で1月分の薬をもらいに行ったりしていた。
平成18年6月23日 家を出る
家を出る日が決まった。
平成18年6月23日忘れもしない、長男の誕生日1日前である。
又、ワールドカップサッカーで日本惨敗の日でもある。
町役場の黒の日産ラルゴを用意され、人目につかない場所で荷物の運び出しをするように言われた。
雨も降っていたので下田ベイステージ黒潮の駐車場に決まった。
ベイステージ黒潮では、寿司屋の下当たりの駐車スペースに
夫所有のトヨタライトエースリミテッド、ライトブラウンツートンを駐車し、
荷物の運び出しに伊藤、土屋、他男性職員平山が加わり、荷物を私の乗り付けた車から役場所有の車、
黒の日産ラルゴに載せ替える行為を
車両の所有権の確認もなく勝手に焦るように進んでやっていた。
夫名義の車の乗り捨て不法投棄の手伝いと、町役場の車を使用して
夜逃げ同然の手伝いを公的機関が携わっていた訳だ。
DV法のマニュアルに沿っての行動にしても、あまりに強引で勝手でなおかつ、
不安にかられている女性に対して、適切なアドバイスとは言えない事である。
そして、荷物を積み替えが終わり、人目に付かない裏道を使い
一時保護所までの長い道のりを4時間位かけて車を走らせる。
車中では私と子供3人は不安にかられていて、一言も言葉を発しない様な状態であった
今思うと、実際車をおいていくのは私であり、後の責任問題にはおそらく関与を否定するであろう。
又、関与を否定する裏工作まで計画されていた。
この裏工作とは、女性センター土屋があらかじめ自分のバックに用意して入れてある
便箋と封筒をおもむろに取り出し「ご主人の車のカギを預かりますので○○さんがどこに車を置いたか、
手紙を書いてください」と言われ、
言われるがままに自筆で「突然にいなくなってごめんなさい。
車は下田のベイサイドの土産屋のすぐ前に置いてあります」と書けと強要され、
仕方なく書いた後、車のカギ及び家のカギ+スクーターのカギの3本を「これは私が預かりますから」と
センター職員土屋に強く言われたので、
何かに悪用はしないだろうと不安を感じながらも状況的にみて仕方なく手渡した。
その時の立会人は南伊豆町役場職員の健康福祉課伊藤(女性)、ラルゴの運転手平山(男性)、
一時保護所担当職員山田(男性)である。
これは後に、私が自分の意志で車を乗り捨てたと言う証拠をとるためではないかと思う
カギは私の物でもあるが、夫の物でもある。カギは財産を管理する物であり財産を預けたも同然。
何故か鍵が手元に戻ってきた。
それは一週間後の7月30日頃に一時保護所の私たちを担当する山田と称する男に、下田の女性センターの土屋から、○
○さんが預けた逃亡時に利用したライトエースのカギ
(家のカギとスクーターのカギもついていた)を渡した物を私の手元に戻ってきました。
理由として山田から発せられた内容は
「女性センターの職員土屋が車を不法投棄した場所に車がまだあるかどうかを確認しに行ったときに、
既に車はなくなっていたと」と言う理由からである。
事実確認もなく一体誰が移動したかも分からない状態であった。
自動車盗難や、違法駐車、放置車両と見なされ大変な事になっていたかもしれない。
今から思うと、他人に自宅等のカギを渡してしまった事は、大変危険な行為であり、夫の居ぬ間に、
女性センター土屋は空き巣に入る事や、室内に放火し住めなくすること、
合い鍵を作っていた事も十分考えられ、今思えばあの時、緊張、
不安など精神的に追いつめられた状態で、
正当な判断ができない私から考え「T屋は赤の他人」と思うと恐怖を感じ、
何も知らないでいる夫の事を考えるとぞっとした。
第四話終わり
下田ベイステージ黒潮~一時保護所清流荘へ移動ルート
移動ルートは、下田を12時頃出発し、135号線を河津方面に向かい、ループ橋を通過、
天城を抜け三島市から国道1号線で長時間の移動に入りました。
その後、由比、浜松、静岡まで4時間かけて16時半頃一時保護所と言われる(清流荘)に到着した。
これから道中での出来事を書きます。
道中では、女性センター職員土屋は、子供達に「大人しいのね、大丈夫よ
これから行くところにはあなた達と同じくらいの小学生や、
小さい子供達もいるから仲良くお友達になれるかな?」と言った。
更に旅行気分かの如く、「ほら、ループ橋だよ、」「富士山が見えるわよ」
と言っていた。
子供達は不安になっていたので何も反応がなく無口であった。
道のりが長かった為か南伊豆町役場の職員の伊藤は、
「車に酔いやすいのよね、ちょっとの間内緒ね」
と私たち4人に言って、勤務中にもかかわらず1時間近く車内で居眠りしていた。
なんて職務怠慢なのであろう。
女性センター土屋は、逃亡業務を何度か行っているらしく、
「良く山道で鹿に出会う」等と言う事も言っていた。夜逃げ?
保護所についてからの注意点を聞いた。
「他の人は色々な事情で様々な形を持ってそこにきているので、あまり深く話をしない方が良いです」と言われた。
「保護所に着いたら○○さんの担当の職員がいますと聞かされる。
名前は、男性で山田と言います。」とも言われた。
私は、担当がなぜ男性なのか不思議に感じたなぜなら、DVを受けた女性なら男性と聞いただけで「恐い!」
と女性センターや冊子から認識していたからだ。
「え!」と言うと、土屋が「女性の方が良いですか?」と言ってきた。
「いや別に」とこちらもそれ以上何も言えない状況だった。
現地に着いて(静岡市一時保護所清流荘)
現地に着き荷物を各関係職員で、清流荘と言われる木造平屋建ての古めかしい施設内
に用意された部屋(8畳くらい)があり、そこに車載してきた荷物を運び込んだ。
その後、施設の女性職員に「荷物の片付けは後にして、面接をするのでお子さんを部屋で待たせ
お母さんだけ面接室に来る様に」と言われた。
「今回ここに来るまでの内容を教えて下さいと言われる。」
同席者は、南伊豆町役場職員伊藤・山田・女性センター職員土屋・清流荘担当職員山田の4名である。
質問の内容は以下3項目である。
1 どの様に暴力を受けたのか?
2 いつからその様な事があったのか?
3 どこに相談したのか?
清流荘職員の山田は、到着後直ぐに「職員は5時に退社になってしまうので急いで」とせかし、
「また次の日は土曜日、日曜日で職員が休みのため急いで!」
と更に急を要する事を強要された。
私はこのような冷静に判断できる時間すら与えられず、緊張や不安感にかられ、
3人の子供の状態も心配なのをよそに、このような質問を聞かれた。
何故職員達は私を焦らせたのか?時間外でもつけてもう少し落ち着いてからでもいいのでは?
以上今から思うと、あの時言いたくもなかったのに、家庭内のプライバシーの事まで強制的に言わされた。
言わなければいけない状況であった。4人に囲まれて。
その時に書記は清流荘担当の山田が書記をしていたのを憶えている。
私は罪悪感や悲壮感にかられ、泣いてしまう。
この時点でこの組織の厳重さから「もう伊豆には戻れないんだ夫やシロ・ゴロにも会
えないんだ」と思った。
また、南伊豆町役場の職員は、私の気持ちとは逆に、
「今まで暴力を振るわれ、苦労してきたので安心して、泣いてしまったのね」と言う。
また、学校、警察にご主人が、行かれる事が予想されるので、
教育委員会経由で小中学校の校長又は教頭に早急に連絡を取り事態の把握をして貰う事を、
静岡県女性センター清流荘担当職員らから、南伊豆町役場の職員に指示していた。
しかし、夫がその様な場所に行くのは当然ではなかろうか?
仕事から帰ると妻、子供3人が忽然と車と共に消えたのだから・・
夫、父親として心配するのごく当たり前である。
そして、私にも、「6月26日の月曜日になったら、○○さんの口から直接小中学校に
今どこにいるかと言う事を伝えて下さい」と言われる。
また、病院にかかったと言う診断書がとれるかどうかの確認を○○医院に対して頂きたいと言われる。
その後、「今日此処へ来たと言う事で、写真を撮るので、
お子さん3人を部屋から連れてきて下さいと」
言われ、何で写真など撮るのかなと思いながらも、
「時間がないので急いで」
とせかされ、慌てながら面接室に走りながらみんなで行き、
女性センター職員の土屋から、「笑って良い顔して!」と言われ
、ポラロイド写真を撮られる。
私は、肖像権の侵害等を考え、嫌でしょうがなかったが、
されるがままに行動せざる負えなかった。
撮影後、南伊豆役場の職員伊藤が、ご主人が役場に尋ねてきたときに、
どんな人か顔を確認しておきたいので、写真があったら見せて下さいと、
疲れ切っている私たちの事をよそに、部屋まで来て、アルバムに写っている写真を見ていった。
その後、女性センター職員土屋、南伊豆町役場職員伊藤、平山の3名は帰っていった。
6月23日夕方の17時前である。
第五話終わり
一時保護所清流荘での出来事
平成18年6月23日(金)17時ころ~
部屋の片づけをしようと戻ると、清流荘に日勤で勤務している女性職員が部屋迄で来てノックをされ、
あけると、トイレの場所、風呂の場所、食事をする場所を説明される。
また、「土、日は交代勤務で、一人のみ8時半から17時までしか、職員がいないので
貴重品があったら、
面接室の金庫に預けて下さいという」また部屋にはカギは付いておらず
貴重品も沢山あるので心配になる。
基本的には土、日は金庫から物を出せない事になっている。
預けた物は
(Au携帯電話、財布(4万円)キャッシュカード、
印鑑、年金手帳)である。
そのため、ここから出れない状態を作り出されてしまった。
また、携帯電話ぐらいは持っていてもいいとかと聞くと、
「ご主人は、電話番号を知っている?」と聞かれ、
「知っています」と答えると、有無を言わず、
「では携帯電話も金庫にしっまていたほうがいい」と言われ、
こちらに考える隙も与えず、
職員が帰ってしまうのでとせかされ仕方なく預けてしまう。
今思うと、携帯が貴重品とは思えず、個人の情報伝達手段として、契約している物を
強制的に奪ったも同然。
後に聞いた話によると、入所を何度も繰り返していた人物が居て、
携帯電話の没収の真の理由は、夫から心配している等の
電話やメールが入り、
戻ってしまった人や、入所先まで
夫が迎えに来てしまった事などがあり、
これを避けるためと聞いた。そして戻ってしまった人は、
自分の持ってきた荷物等は職員に処分されていたと聞いた。
6月24日、25日
部屋に監禁されたような状態で、
買い物に行くにも出入記録表があり、これに記入しないと勝手に
外にでる事はできない仕組みになっている。
外出不可(監禁)
24日は長男の誕生日であったため、静岡市街まで徒歩30分のとこであったため
皆で歩きながら、ロッテリアまで行き、アイスクリムーを食べて帰る。
6月26日(月)
8時半頃、日勤の職員が来たので事務所に行き、23日の日に言われた事を伝え、
電話を使いたいと申し出る。すると、日付と名前、どこに電話し
て誰と何を喋ったか大まかに書く書式があって、
そこに記載するように言われる。時間の記入も忘れずにと。
この時、電話番号が分からなかったので、
携帯電話の返還とその他預けた金品等についても、返還を申し出るも、
携帯電話のみの返還しか認めてはもらえなかった。
理由はこうである。「部屋に鍵がかかっておらず、入所している人間等とのトラブルを避ける」との事である。
携帯を開くと、着信が確認できた。
夫からの電話とメールである。
夫のメールや電話に心配をしている事が確認でき、
思わず「もう止めます」と言いたかった。
このとき家に帰ろうと何度も思った。
しかし学校に心配をかけてはいけないと思い、携帯の電話帳から小学校の番号を確認し、
8時半くらいに、南上小学校校長に電話する。
内容 「教育委員会と役場から聞いていると思いますが、
私は今自宅とは違う場所で、居場所は言えませんが、ご心配をかけて申し訳ありませんが、
しばらく欠席という形でお休みさせて頂きますがご了承下さい」
と伝えると校長は
「ご主人が先ほどまで学校に来ていました。
「とても心配されています。本当にいいんですか?」と問われた。
「はい」と答え「子供達は皆元気にしていますか?」の問いにと「はい元気です」
と泣きそうな声で言った。胸がいいっぱいになった。
最後に「ご心配おかけしますが宜しくお願いします」、と言い電話を切った。
正直「やっぱりもう止めます」と言いたかった。
しかし、一部始終を事務所で電話をしていたので、
職員にもこの様子が分かってしまうので
何かの恐怖を感じ諦めた。辛かった。
静岡県女性センター職員山田(一時保護所担当)が出勤、
私たちの部屋に来て「これから此処の施設内で○○さん達が、
今後安全に暮らせるような方法をとるために
保護命令という法律に基づいたものを記入し、裁判所に提出したいと思います」
「書式を渡すのでなるべく早く自分の思っている事を
沢山書いて提出してください」
配偶者暴力に関する保護命令申立書一式を見本とともに渡された。
必ず鉛筆で記入とのことであった。
このときに、この書類の提出後、
どの様な事になるかの説明はなく、
ただ「安全に暮らせるような事と、手形のような物」
ですと説明を受けた。
「それを見せれば、6ヶ月更新で永遠に
夫が私たちに近づけない重要な物になるので、
また更新はずっと出来るので本当に安心な物です。」
とも説明を受けた。
女性センター職員山田は、配偶者暴力に関する保護命令申立書を裁判所に提出し、
保護命令という物さえ取ってしまえばそれが証明できる物になるので、
何も恐くないと言う言葉をもらった。
ただ、それがないと、夫が探し回り更なる暴力をするおそれがあるので、
その証明書がでるまでは、此処の施設(安全な場所)
に居ないと生命の危険にさらされますと言われ、
恐怖におののいた。
今考えると、夫が恐いと思うと言う事は、
女性センター職員の言葉や、数々の書籍、
角田由紀子著の(冊子)等から、
夫の行動やごく当たり前な言動などを暴力と決めつけ
信頼のおける国や県、町役場等の行政機関、
民生委員である父などが吹聴し、
精神的に恐怖に陥れらていたものです。
また、山田から「配偶者暴力に関する保護命令申立書に添付する書類として、
医療機関での診断書も有力になるので、
出来れば病院で診断書を書いてくれるよう、○○さんの口から申し出てください」と言われる。
そして、その面接の際に、小学校に電話するとき携帯を返してもらい、
知った事だが夫から心配の電話や、メールがあったと伝えると同時にこの時、
今ならまだ帰れると思ったり、
どこかに迎えに来て欲しいとも思い涙が出た。
このころ長女も部屋で、ずっと泣いていた。
このことを山田に伝えると山田は、
「今は離れて安全な場所にいるから情が出るけど、○○さんが今までやってこられた事は、
ご自身と、お子さんの為です、自信を持つように
頑張って保護命令が出るまで、やっていきましょう!」と
強く言われ納得してしまった。
その後、何故強く納得してしまったのかというと、
高校時代の友人で相談相手にもなっていた磯由里子という人物が居り、
その人物から携帯へ、電話が入り、
夫から留守電に私たちの居場所を知らないか?とのメッセージが入っていたと聞いた。
こちらからは携帯に夫からの心配しているなどのメールがあり、
「もう戻りたい」
等の事を言うも、職員と同じように、
「情があるからだ、とか、お互いに依存しあっているからだとか、
離れていないとまた同じ事を繰り返す」などと聞かされ
1時間近く説得をされたような感じがした。
その人物からは、施設にいる間は頻繁に私の事を心配したように装って、
何度も電話やメールがあった。
だから、山田が言った「今は離れて安全な場所にいるから情が出るけど、
○○さんが今までやってこられた事は、
ご自身と、お子さんの為です、自信を持つように頑張って
保護命令が出るまで、やっていきましょう!」という言葉に
妙に納得してしまったのだろう。
後に全然自分の為?子供のため?
これが不幸になる為だったとは
思いもよらなかった。
6月27日(火)~6月29日(木)
下田市にある佐倉医院に電話をかけ、当時の担当医(女性)に以前5月31水曜日に
佐倉医院に行き、夫から暴力を受けたとその事での相談と診察を兼ねて伺った件で、
証拠になる診断書という物を先生に書いていただけないかと申し出る。
あいにく先生は診察中だったため、事務の女性にその旨伝えた。
折り返し先生に、話して佐倉医院より○○さんの電話のつながる場所に
かけ直しますとの答えであった。
施設職員に承諾後、施設の電話番号を佐倉医院に伝えた。
当日中に、佐倉医院の事務の女性より連絡があり、診断書は書けないとの事であった。
理由は述べず。 おそらく治療を要する怪我?とは判定出来なかったからではなかろうか。
この後、「保護命令が出れば、早く此処を出れます」と
女性センター山田に言われ、
ひたすら保護命令の作成をしていた。
その間に、山田が、清流荘に来ているときは順番に面接を受ける事になっていた。
面接の内容は、私の場合保護命令の手直し、証拠集め等である。
施設内の私より先に入所していた人は、清流荘に来る前にどういった方法か知らないが、
2週間の退去命令と、保護命令を同時に出していたので、
施設の滞在期間は比較的短く、10日前後であったと思われる。
また、毎日新しく入所する人や、出ていく人が居て慌ただしい感じであった。
職員の出入りも多く、それは新しい施設への引っ越しのためで、
私の保護命令作成もそのため、一時中断になってしまった。
土曜日曜は、基本的に担当職員が休みなので特に変化は無く、
狭い部屋の中に暑いのに閉じこもったままであった。
それは、子供達も同じであり運動もせず、食べては部屋でこもり、
繰り返しの日々を送っていた。
南伊豆にいたときに町役場職員と女性センター職員に、
「一時保護所に入所する前に、必ず取っておかなければいけないものを説明するので、
それらの物を取得しておいて下さい」
と言われていた。私は何に使用するかも分からなかったが、
重要な物と聞かされ一応取得していた。そのものとは、
戸籍謄本一通・住民票一通・
それらの物は全て後に、配偶者暴力に関する保護命令申立書に添付するものであった。
空いている時間が多かったので、ひたすら書いていた。
後にこのことを裁判所は保護命令発令の事実確認の無い大儀名文とし、
夫を加害者(暴力犯罪者)とする。保護命令申し立ての添付書類とも知らずにだ。
6月26日~29日(木)迄は
新しい施設の引っ越しの為職員が慌ただしく動いていた。
私は渡された保護命令の見本通りに書いた。
そして、その間保護命令の書き方で山田より何度も手直しをもらう。ただし
陳述書に限っての手直しは無かった。用紙の書き方は、何回も直せるように鉛筆書きである。
そして一番気になったのは山田の薬指につけている結婚指輪だ。
私にとって、結婚指輪とは夫と結婚当初に幸せになる為に新宿のミキモトまでいってよーく選んで、
購入した。思いでの品だ。
その指輪は悲しい事にアクセサリーの箱に、
一つだけ私が持ってきては夫がかわいそうだと、それだけは思い
渋々おいてきてしまったものだ。もうおしまいだ。と言う意味合いも感じながらだ。
そんな思いで置いてきた、指輪。
それなのに相談員の山田は自分は結婚している。
家族も居るであろう、そんな幸せな人間が不幸になる離婚の手伝いをしているのだ。
説得力もなく、相談員として許せなく思った。
配慮が足りない。そして私は又傷ついた。何度傷つけば良いのか?身体も心もずたずたなのに…
古い施設に居たとき2回位だと思う。
平日子供が学校に行けないので、学習室というものがありそこで午前中少しの時間勉強を見てもらっていた。
子供の外出が認められたのは、学校が通常終わる時間下校時間以降である。
それまでは、暑い部屋の中にこもりっきりであり
見ず知らずの子供とも仲良くなる筋合いなど全くなく兄弟だけで孤独に過ごしていた。
漫画位しか楽しみは無く、外遊びは敷地内でボール遊びやバトミントン位で、
親子で外出の際には、
目的地やかかる時間、何の為に行くのかも聞かれ用紙に記入した。
又帰って来てからも記入をした。
管理されていたのだろうか?
金庫に自分の所有物である金銭を持ち出すときに、
いくら持っていくかいくら使ったかを記入させられた。
強く言われたので仕方なく。
あと気になったのは、荷物の事である。
最低限の荷物で来るように指導されているので、皆荷物等は殆ど無い。
ただ、私たち4人は最低限捨てられないものを持ってきたら、およそ段ボール8箱位はあったと思う。
何故、皆最小限の荷物で来なければいけないのか?と不思議に思った。
保護所内では女のどろどろした人間関係があった。
新しく入ってくると新人さんという感じな目で見られ、よそよそしい。
意地悪な言い方をする人もいた。
ただでさえ嫌な思いをして家を捨て、
苦しんで傷ついているのにその仕打ちは半端なものでは無かった。
又、本当にこの人達は私と同じように苦しんで家を出てきたのかな?と思った。
やけにさっぱりふっきっているように感じたからだ。
何度も嫌で、此処を出して欲しいと
山田に言ったが取り次いでもらえず。
「もう少しで新しい施設に引っ越しです。
又、保護命令だけ頑張って出しちゃいましょう。」
と説得されてしまった。
部屋の鍵は無く、知らない子供がしょっちゅう入り込んで来る事もあった。
知らない人の赤ちゃんを自分がたばこを吸いたいのでみていてくれと20分位あずかった事もあった。
プライバーシーなど何もなくまるで刑務所の様だ。
刑務所は入った事は無いが、良くテレビで見ていた感じににていた。
新人はじろっと見られ、最初にトイレ掃除をさせられるのである。
体調が悪く下痢が続いていたので正直きつかった。
その頃、
神奈川県藤沢市の亀井野に住む
実父小田孝良はハワイに夫婦でバカンスを楽しんでいた。
娘が孫がこんな思いをしているのにもかかわらずだ。心配では無いのか?
私は親ながらも又だんだんと不信感を募らせていった。
出ていくときも自分たちに火の粉が飛ばぬよう、23日金曜日と指定され。
優しい私は嫌バカな私は親に何かあってはと思い心配をし、親の都合に合わせた。
ここまでおとしいれる親は何者だ。
鬼でも人間でも悪魔でも無い。なんて表現をしたら良いのか?
第七話終わり
7月1日(土)
新しい施設への引っ越しである。
私たちは、古い施設の入り口付近まで、約8箱近くあったのではないだろうかの荷物を運んだ。その荷物は貴重品ではなく衣類や、思
い出の品等であったのでそういったものは先に施設に荷物の1部として運び込まれるのである。
人間と貴重品は、用意されたマイクロバスに乗り込み新施設に移動するというものである。
新施設は、今までの場所とは違い山の方角にあり、寂しい所である、目の前に、中部自動車運転免許試験場があった。
普段、不特定多数の人間が出入りしているらしく
入所の後、女性センター職員女性で威張った感じの人が入所者を食堂に集め、注意事項を言った。
内容は 「不特定多数の人間が出入りする教習所があるのと、防犯対策はきっちりとっているが、
何せ周りがどういう感じが全くつかめないので
当分は外出はよっぽどの事が無い限りはしないで 」
と言う事である。
買い物が必要な時は毎週木曜日の15時位に職員がまとめて必要かどうか判断して買い物に行くとの事であった。
必要が無いと見なされた物に対しては、買い物不可である。
家は子供が絵を描きたいと言うので、
「ノートと書く物を買ってきてくれないか」
と言うとあっさりと「必要無し」と、却下されてしまった。
子供達は非常に落ち込んだ。
ノート1冊が何故必要なしと扱われ買いに行ってもらえないのか。
もちろんこちら払いなのに。
ちょっとした買い物や子供と
外の空気を吸いに行くなどもっての他であった訳だ。
夜は10時に消灯の見回りを女性センター職員が行い、人数確認をする。
部屋にエアコンはあったが自由な使用は認められず、
昼間はもちろんの事使用できたのは、夕飯後の2、3時間位だ。
部屋の窓は1つしかなく2階の部屋であり、熱風がすごかった。
風通しも悪く扇風機では寝苦しかった。
新しい施設なので綺麗は綺麗であったが、水に臭い臭いがまじり、
同じ敷地内の葵寮という老人ホームまで水を何度も汲みに行った。
7月3日(月)
引っ越しの後、早速山田が訪れる。いつものように空き部屋で面接をする。
この日の面接内容は、明日7月4日(火)に静岡地裁に行く件である。
先日まで作成していた保護命令申立書の内容を最終確認し、添付の資料も念入りに確認した。
事務所で2部コピーをとり、1部を女性センター、もう1部を静岡地裁提出用にホチキス止めをして
明日午後1時に山田が車で迎えに来ると言い残し帰っていった。
7月4日(火)
午後1時になり、山田が迎えに来た。保護命令申立書とそれにかかる費用の証紙代を金庫から出して静岡地裁へ向かった。
到着して、ある部屋に通されると1人の女性が来た。書類に目を通しこういった。
「あなたは、此処の裁判所ではなく居住地の静岡県下田市の裁判所の取り扱いですが?」
と尋ねてきた。何がなんだか分からずきょとんとしていると、
同席した山田が「下田市までは遠いので、こちらで取り扱い願います」
とお願いした。
その女性は「こういう事をされると困ります。
上申書を書いていただければ可能ですが、毎回上申書を書けばと思われても迷惑です。」
と怒った口調で言った。
私は、とりあえず、自筆で上申書を書いてお願いするような形をとった。
裁判官らしき男性が暫くすると入室してきた。
保護命令申立書に目を通すと、どういった暴力があったの?と内容を確認しながら問いかけてきた。
私は「叩かれました。2回ほど。言葉でひどい事も言われた事もありました。」と答えた。
少し首を傾げながら、写真は?病院の診断書はと尋ねて来た。
写真はあったが、鮮明ではない適当にこれです。
と言っても証拠になってしまうような物である。又診断書がない。
以上の事で何度も申立書を見て、本当に暴力はあったのですね。と 確認された。
「はい」 と答えると 「では、保護命令が下りましたら連絡をします。
10日は1日連絡の取れる場所にいて下さい。」 と言われその日は施設へ戻った。
施設内では、連日のように入所者が後を絶たなかった。
そして皆だいたいが子連れである。
ある人物だけは50歳代で1人で来たと言っていた。
ただ驚く事にその女性は何度も施設を利用しては出ての繰り返しの
常習者だったらしい。
どういう人かと思い、色々喋って見ると此処に来るには自分の車で直接来てこの施設の裏に駐車場を借り、
そこに車を停めているらしい。
自宅は同じ静岡市内で近辺にあるらしい。
そして以前は清流荘の古い建物にも、同じ様な感じで来ていたらしい。
中での行動の監視はなく比較的自由に出来ていたらしい。
食事も良かったと言っていた。
どういった理由で来たのか聞いたら、旦那に暴力を振るわれたと言っていたが今回が初めてでは無いようだ。
その人物は喧嘩をする度に利用できるみたいなことも言っていたし。
「ただで泊まれるし、」とも言っていた。
これって悪用?
と感じた。そしてその女性は色々と中の事を仕切りだし、引っ掻き回して楽しんでいた。
いちいち人の家の子供を中傷したり、掃除のやり方をうるさく言ってみたり、感じの悪い女だった。
特に家は男の子が1人いたので、それも中傷の的にされてしまった。
子供間でのトラブルもいちいち親が大人が干渉しあい、子供はストレスをためながら苦しい思いをしていた。
せっかくその中でも意気投合した子が男の子でいたのに、
その女の中傷で子供同士も仲良く出来ないようにさせられてしまったのである。
長男は、「もうこんな所いたくない出たい」と訴え苦しんでいた。
私は何度もその事で職員に相談すると、
「今外に出るのは危険です。
保護命令だけ出れば安心だから我慢して下さい。
せっかく此処まで来て安全を得られようとしているのに。
後もう少しの辛抱です。」
と言われる。もう我慢の限界と訴え静岡市内のホテルを探そうと思った。
実家はやはり保護命令が出ないと受け入れてくれなかったので。
だけど、そのためのお金が無い。
(金庫の中)施設を出るにも荷物も沢山ある。
非常に悩んだ。
その時はもう「自宅には帰れない」と確信していたので
、何しろ施設を出る事だけを思っていた。
実父とは6月23日から連絡が取れなかった。
それはハワイにバカンスに行っていたからだ。
結局連絡が取れたのは7月5日以降である。
でも私の携帯を電源を入れておくと、夫からの電話やメールが心を揺さぶった。
トイレで見て泣いて
、「戻りたいやっぱり今なら戻りたい」と思いながらも電源を入れると連絡が入ってきて辛くなるので電源は常に切っていた。
7月5日(水)そんな状況だったので、今後の事もゆっくり実父と話ができなかったので携帯電話の購入を考えた。
静岡市内まで職員に送ってもらい購入した。
0円携帯である。新しく番号を変えてからは、もう今までの携帯を見る事は無くなった。
7月10日(月)15時~16時の間は施設内に必ずいるように指示された日である。
待っていた結果が出た。山田が夕方16時半頃
「○○さん。保護命令が下りました。ご実家に電話できますか?」と聞いてきた。
事務所から実家に電話をした。
実父が出る。「神奈川に戻ってきて良い」と。
その後山田に電話を代わると電話口でこういった。
「○○さんは頑張りました。○○さんや、子供さん達にとって安全である保護命令が出ましたので、
後は宜しくお願いします。」と言った様な言葉だったと思う。
私はとにかく施設から解放される。子供達も同じだ。
早く出よう。そればかりで先の事など何も考えていない。考えられない状況だった。
段ボール箱を先に神奈川の実家に送る手配をヤマト宅急便単身引っ越し便で施設から神奈川までを手配した。
荷物は7月9日(日)にヤマト運輸に取りに来てもらった。
施設内は立ち入り禁止なので、荷物は子供達と1階の入り口付近まで運んだ。汗だくだ。
宅急便の人たちも、「子供さん達に運ばせちゃってごめんね」と申し訳なさそうだった。
7月10日(月)
保護命令が裁判所から下りた時点で保護所退出の書類に判を押す手続きをする
6月23日~7月11日までの18日間の滞在であった。
第八話終わり


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