自分というもの。
私は、このブログでも何度も書いているが、精神疾患を抱えている。
最初に精神科に訪れた時は、ストレスの原因は夫だと思っていました。
確かにストレスの原因はありました。でも夫だけではなく自分じしんだったようにも思います。
自分のことを否定的に指摘されたり、興奮するような言葉で注意を受けると
頭が真っ白になり、パニックになっていくのが自分でもわかっていました。
だから、精神科受診の時には先生に「夫からの行動や言葉が精神的にストレスになっていると」言いました。
何度か通院するに連れて、1度ご主人も受診をと進められました。
夫婦で受診していました。
夫には、どういう診断を下したかはわかりません。ただ私の診断は自立神経失調症。
目眩、頭痛、肩こりが酷く点滴と薬は欠かさずにやり、又飲んでいました。
しかし3年も通院してもいっこうに良くなりませんでした。
そんな中、仕事のこと金銭的な事で夫婦で喧嘩がおきました。
そして、DV問題に発展していったと言うわけです。
今、非常に悲しく思うのは、その後に診断書を当時の病院に書いてもらいたいと申し出たところ、今はかかっていないので書けないと言われました。
今現在の精神科はきちんと病名を教えてくれて診断書も作成してくれました。
そして、その後第三者を通じてやっと、伊豆の精神科に 診断書を書いてもらうことができました。
病名の明記に驚きました。
鬱病、そしてその原因は夫ではと書いてありました。
なぜ、夫婦で受診していたときにきちんとした診断をしてくれなかったのでしょうか?
かりに夫の私に対する対応の仕方が結果こうなってしまったとしても、私がDVの被害者として役場や女性センターに相談してシェルターに行ったり離婚したり子供を振り回すことはなかったと悔やんでいます。
今となれば、入院設備の整った病院に入院という措置もとれたはずです。
又、適切な投薬もできていたらここまで悪化しなかったと悔やんでいます。
今のかかりつけの病院では正直入院の話も出ています。
統合失調症という病気は、家族も本人もどうして?と疑問に思いながらもわからないものです。
あまりにも遠回りな道のりに悔しさを感じています。
2人の夫婦を見てくれていた主治医の先生の意見はなんと答えるのでしょう?
福祉の関係者が関わっていた役場や県の保健婦の意見はいったいどうなんでしょうか?
今後私は、見た目普通の人間、しかし感情障害があったり、確実に脳のダメージはあります。
混乱したり興奮した場合は入院も止む終えないと思っています。
子供たちも下の2人は薄々感じ取っています。長女には私の病気の事はきちんと説明をしています。理解しています。
こうやって家族が協力して、治療が始められるわけです。
長年苦しんだ結果、シェルター入所や離婚までしなければいけない理由があったのだろうか?良くなる治療も悪化してしまって、夫婦の溝は遡って恨みになってしまうことすらあるのです。
精神科受診をしている私を判断力の乏しい弱った精神力でDVという適切な自分では判断は当時できていなかった思います。
精神弛緩を甘く見ないで欲しいと思います。専門家たちの判断が誤った判断になり、私自身が壊れてしまいました。
今の私は、買い物もろくに1人ではできません。子供に一緒についてきてもらったり、夫に一緒に行ってもらっています。また生協の個配も利用しています。
先日、お金の管理のことで夫から言われました。切り詰めていこう食費をと。
確かに今の時代贅沢はできません。状況は理解しつつも
何だか贅沢していないのに注意されたと言うことが、又否定的にとらえてしまったのでしょう。お金のやりくりが上手くできない、夫のこれからの不景気な時代にと言う言葉に理解ができなかったのでしょう。又、興奮してしまいました。
お金の危機感に、お金がなくなってしまうという恐怖感にかられてしまったのです。
お金に凄く私は執着しているのでしょうか?
そう言うときはやはり病気が隠されているのでしょうか?
そういった時私の行動は異常に家族は見えるようです。
精神弛緩は言葉では自分でも理解していても、現実混乱しているんですね、偏っているんですよね。
現実を見ながらも現実が細かい事を長い目で見たり、考える事ができません。
今、目の前の事をやっていくことが精一杯なのです。
だからって、計算ができない事はないし、話も普通にできる。
ただ深い話ができない。だから頭が混乱してわからない事に怒りを感じ、興奮してしまう。
これだけ自分で後になると興奮がおさまると冷静に見ることもできる。
いっぺんに難しい事を言われると、全て頭の中に取り入れてしまうのでこんがらがってしまう。
家族と私の関わりは複雑である。
迷惑を掛けてしまっていると悲観的にもなる。自責の念にかられて1人で家にいると、外の音が自分を襲ってくるように一気に緊張感が頭の中にかかる。
その音が怖くて、私はイヤホンを音量大にして消し去ろうとする。
自分が自分でなくなってしまう、恐怖感は孤独との戦い。
こんな状態もいくらかわかっている中で自分なりに理解しようとしている。
だけど、 いまだに自分自身が怖い。
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